2005年05月28日

いま語らないと一生語れないΖガンダム・その5

(栄輝)>ゼータの頃、ちょうど17歳だったんだよ。
(A機)>はい。
(栄輝)>だから、カミーユのやることや気分って、なんとなくシンパシー感じてた。たとえば、カミーユっていうのは、とにかく出会う女性すべてにモーションかけてるんだよ。
(A機)>(笑)
(栄輝)>レコアさんやエマさんには、お姉さんとして甘えようとする。フォウやサラには、「俺のところに来い、俺は君を救いたい」って行動する。このへんのハイティーンらしい理想主義というか、スケベ根性が、痛いほどよくわかるというか。
(A機)>このスケベ(笑)
(栄輝)>(笑) カミーユはスケベしたくて口説いてるわけじゃないんだよな。小説版のほうで明解に書かれているけど、カミーユが求めていたのはファミリーだったんだな。
(A機)>「親が親をやってくれなかった」という思いの部分や、ロザミアが母親になるクライマックスのことですね。
(栄輝)>柳沢きみおの『翔んだカップル』って漫画があっただろ。
(A機)>いきなり柳沢きみお?
(栄輝)>あれの連載当時は、なんで主人公はこんなに鬱屈しているんだろう、と思ってただけだったんだが、二〇歳ぐらいのときに読み返してハタと気付いたことがあったんだ。あれは、まだ思春期で異性のことを意識したこともなかった主人公が、いきなり女の子と同棲することになって、女性との付き合い方を体得していく過程をすっとばして、異性とひとつ屋根の下で暮らすという、男女のあり方の頂点に触れてしまった悲劇なんだ。主人公は、自分自身それが何なのか理解できないまま、その領域に足を踏み入れてしまって、ところが周囲の圧力によりひきずりもどされてしまう。それが何だったのかが分からないまま、思春期のプロセスを通過していかなければならなくなったことが、彼にとっての巡礼、苦難の道だったんだ。
(A機)>なんだか分かりませんが、それがカミーユと関係あるんですか。
(栄輝)>うーん、あんまりなかったかも(笑)
(A機)>なにそれっ。
(栄輝)>両親は“親”をやってくれなかったという思いがカミーユにはあって、それを親に直接ぶつける前に両親が殺されてしまって、けっきょく彼は自分に欠落しているものをどうやって埋め合わせすればいいのか、分からなくなってしまっていたんだと思う。最初の頃はアーガマの中でもまったく居場所がなかったし。文字通り、ブリッジに連れてこられても、どこに立てばいいのか、何をすればいいのかも分からない状態。みんなカミーユをほったらかしにして作戦だ何だって躍起になってるし。
(A機)>しかたないからレコアさんに甘えてみようとしたり。
(栄輝)>と思ってたら「わたしこれから地球に行っちゃうからね(シャアも冷たいし)」なんてことになるから、腹立ててみたり。あと、物語の後半でカミーユが自分のベッドに仏壇みたいなのを作っていて、自分が倒したパイロットのことを祈ってるらしいって分かるシーンがあるのね。
(A機)>ブリーフ姿でエマさんに模様替え手伝ってもらうんですよね。
(栄輝)>さぁ(笑) そういう、内省しようとする姿勢というか、いつもイライラして、周囲とも噛み合わないことが多くて、でも一人になると自分を見つめている…。どうにも息の詰まるような青春時代なんだけど、そういうことをやってみようとするカミーユに、ビビビときてたわけ。だから俺にとってゼータガンダムっていうのは、「戦争という状況にもめげず、自分の居場所を求めて、出会う女性すべてに声をかけ続けた十七歳の物語」ということになる。
(A機)>なんだかなぁ。
posted by 多村えーてる at 21:18| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いま語らないと一生語れないΖガンダム・その4

(A機)>そんなこんなで『黒いガンダム』が放送されて。
(栄輝)>ゼータの1話って、2話以降と比べて異質な印象がある。それだけ気合いが入っていたということなんだろうけど、なんというか、後のゼータが引きずっていく息苦しさが少ない。あれから数年後の宇宙世紀なんだ、どっちかというと「もはや戦後ではない」と言えるような時代になったんだ、という気分のほうが前に出ていて。
(A機)>学校があって、部活があって、「病欠です」ですものね。
(栄輝)>(笑) 社会復興がすすんだことがそれで分かるんだよね。カミーユはたしかに癇癪を起こしてジェリドを殴るけど、それほど癇の強い子ってイメージはなかったね。1話のあの雰囲気や、カミーユのあり方を思うと、もっと違うΖガンダムもあったかもしれないなと思うことがあったなぁ。
(A機)>今度の“新訳”は、ひょっとしたらその可能性に向かっていったゼータなのかもしれませんね。
posted by 多村えーてる at 21:16| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いま語らないと一生語れないΖガンダム・その3

(A機)>さて、主題歌から入ったゼータガンダムだったわけですが、いろいろと事前情報もあったわけですよね。
(栄輝)>たぶんOUTだと思うんだけど、放送前にガンダムMk-IIの全身図が掲載されていたのが最初にみたゼータの記事だったかな。誰が乗るとも主役メカとも書いてなくて、ガンダムという名前はついているけど、どういう位置付けのモビルスーツなのかもわからない。これがゼータガンダムなのかどうかも分からない。
(A機)>ザブングル、ダンバイン、エルガイムって主役メカの交代劇があったのに、ゼータでも同じことがあると思わなかったんですか?
(栄輝)>過去の三作品は、タイトルになっている主役メカはちゃんと1話から登場しているわけよ。まさか2クール目の終わりになるまでタイトルを冠したメカが出てこないなんて、その頃には思いもよらなかった。まして放送前の時期だから、アニメ雑誌にもそんなことはまったく載ってなかった。
(A機)>ふーむ。新機軸だったんですねぇ。
(栄輝)>これまでにない戦略だから、けっこうバクチだったんじゃないかなぁ。ゼータでは「変形」が大きなファクターとなっていくんだけど、放送前にはまさかそんなことになるとも思ってなかったし。アッシマー、ギャプラン、メッサーラが可変モビルスーツとして発表されたのも、もっと後になってからのこと。御大将が“海外のトランスフォーマーを意識している”といった記事をみたときは、正直あきれた。
(A機)>マジかよ、ガンダムをあんなオモチャシリーズといっしょにするのかよ、とか?
(栄輝)>そうそう(笑) ガンダムだって玩具の販促番組だっていうのにな。MSVのようなリアル指向と、トラックや戦闘機がロボットになってドツキ合う馬鹿馬鹿しい作品とのギャップを、頭の中で埋め合わせることができなかった。
(A機)>わかっちゃいるんですが、たいしてかわらないのにね(笑)
(栄輝)>素直に認めます(笑)
posted by 多村えーてる at 21:15| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いま語らないと一生語れないΖガンダム・その2

(栄輝)>主題歌・挿入歌についてなんだが、まず『銀色ドレス』はガンダムソングの俺ランキングでは永遠の第一位。劇中での使い方も、その青さとポジティブさを見事に内包した歌詞も。
(A機)>ほぉ。森口博子でよかったと。
(栄輝)>そんなことは言ってないわけだが(笑)、思えば『Ζ〜刻をこえて〜』を鮎川女史が担当したのも、エルガイムに続く富野作品、みたいなつながりを感じた要素のひとつだったね。記憶では放送開始の1ヵ月ほど前に主題歌シングルが発売されてたはずなんだ。
(A機)>曲から予習してたわけですね。
(栄輝)>ちょっとぎこちないメロディと硬い歌詞にとまどいつつ、クライマックスの英語を真似ようにも、どうにも舌が回らない(笑)
(A機)>(笑)
(栄輝)>で、いよいよ第一話が放送されたら、なんかブツ切りなんだよ。
(A機)>あー。
(栄輝)>あれにはがっくりきた。長い曲だったから、オープニングも長めのフィルムになると勝手に思いこんでた。それが、いちばんいいところがバッサリ切られていて、なんて出来の悪いオープニングなんだと。
(A機)>ゼータはそんなところにもつまずきを感じさせたと。
(栄輝)>エンディングの延々と走るファっていうのも、さして芸がないなと思っていたし。
(A機)>いやはや。で、後半からガラリと変わって『水の星に愛をこめて』に切り替わると。作画も梅津さんが好き放題にやっちゃって。
(栄輝)>そうなんだよ。イントロでいきなりドガーンとガンダムMk-IIのシールドがふっとぶんだけど、前のフィルムにも似たようなカットがあったはずなんだけど、まったくの別物になっていて。シャアなんかも顔つきが梅津キャラになってて。
(A機)>フォウにいたっては別人ですよね。
(栄輝)>あれは御大将がコンテの時点で「フォウのようなそうでないような、象徴的な女性として描いてくれ」って指示があったんだよな。アニメ雑誌の記事でそこのコンテは読んだことがある。
(A機)>フォウ・ムラサメというキャラクターについては、機会があればまた別のエントリーで。
posted by 多村えーてる at 21:13| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする