2006年03月05日

いま語らないと一生語れない終盤のΖガンダム・その3

(栄輝)>じゃ、ハマーンについてな。まず言いたいんだけど、あのキャラデザインはやりすぎでしょういくらなんでも。ピンクのミンキーモモなヘアスタイル、へんなひらひらした服装、ずっとアステロイドベルトで苦労してたんじゃねぇのかよ。どういう様式であんな格好になるんだよ。なんでそんな奇妙キテレツな格好した女が指導者でみんな平気なんだよ。
(A機)>うわー。よくわからないけどごめんなさい。
(栄輝)>フォウ以上のエキセントリックなキャラクターとして、行くところまで行ったキャラクターデザインとしては正解だったのかもしれないけど、宇宙世紀の世界はファンタジーなのではないかと、頭を抱えたのも事実。というかさぁ、あまりにも取り付くシマのないデザインで、観ていて居心地わるかったんだよなぁ。あっちにはハマーン、こっちにはロザミィじゃなぁ。
(A機)>はぁ。ギスギスした世界でしたからねぇ。
(栄輝)>三揃えのスーツとノーマルスーツとノースリーブの軍服が共存する宇宙空間で、なにをいまらさと言えなくもないけどな。それはともかく、ハマーンとカミーユって、ララァとアムロばりの「邂逅」やってるだろ、あのシーンはゼータの頂点だったと思うんだよ。
(A機)>でも喧嘩わかれしてますよあの二人。
(栄輝)>そう。場合によってはララァとアムロの関係の「向こう側」を見せてくれたかもしれないシーンだったのに、あの二人ときたら、というかハマーンときたら、乙女ゴコロむき出しにして「わたしの生徒手帳にはさんだシャアの写真をみた奴はブッ殺す」みたいな逆ギレしちゃって。そのあとでカミーユとクワトロは、どっちがハマーンを倒すべきなのか、取り合いの反省会までしてみせる。
(A機)>ちっとも名シーンじゃないじゃないですか。
(栄輝)>うん。あの回が名作になりきれなかったこと、『灼熱の脱出』をちっとも超えられなかったこと、それがゼータガンダムという作品がどこに向かおうとしていたかを表しているんじゃないかと思うんだ。それまでハマーンとカミーユはじわじわと呼び合っていたけど、本格的に交わってみたら物別れで、もっと大きな何かを表現することもできたはずなのに、混乱したままでエピソードを消化しちゃったんだよなぁ。
(A機)>よくダブルゼータという続編が決まっていたから、ハマーンとカミーユで決着をつけるはずが、シロッコに相手がすり替わって、ハマーンだけが続投することになったって言われますけど、そういった事情も関係してるんでしょうね。
(栄輝)>どうだろうな。そのへんはいまとなってはどうでもいいことかもしれないな。なにしろ小説ではロザミアで決着つけてるわけだし。たしかに、ダブルゼータのハマーンは、シャアよりもむしろカミーユへの未練でジュドーにアプローチかけていたっていう印象はあるけどな。
posted by 多村えーてる at 12:44| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック