2005年11月01日

『恋人たち』考・カミーユの告白

(A機)>富野作品名物、主人公の長い告白ですが。
(栄輝)>旧フィルムと劇場版では、告白内容が微妙にすりかわってる。旧フィルムでは「カミーユという名前は女の名前の呪縛から逃れるために男の証しを手に入れようとした」といった内容だったんだけど、劇場版では「両親は不仲で自分のことはほったらかしにされて、なのに幼なじみのファがお節介を焼く」という話に。
(A機)>これって、気になる女の子の前で別の女の子のことを必死に話してるわけで、あるいみ自爆ですよね。
(栄輝)>モロ自爆だろ。カミーユも「なんでこんなこと話してるんだ俺」って焦ってたし。自分のことを伝えたい気持ちでいっぱいになって話しているうちに、ファという女の子の存在にカミーユが気が付く、という展開なんだよな。フォウにしてみれば単にあてられたようなもので、「なんだ、帰るところ、ちゃんとあるじゃないの」ってな気分だったろうに。だからこそフォウは、からっぽの自分とは違う、カミーユは帰るところがあるんだから、帰してあげようとしたのかな。それが自分にできる精一杯の愛情表現…フォウ、なんて優しい女の子なんだ。
(A機)>そういう話だったんだ。
(栄輝)>個人的には自分のコンプレックスをさらけ出す主人公というものがココロに突き刺さっていたから、予告編フィルムあたりでセリフが変わっているらしいと気が付いたときはけっこう衝撃だったんだけど、実際にフィルムを観れば、このカミーユならこれでいいんだな、と思えるのよね。
(A機)>ザッツ・トミノ・マジック。
(栄輝)>やっぱカミーユの立ち位置の変化が大きいと思うのよ。「狂わないカミーユとはどういう子なのか」を考えれば、あんな傷だらけの告白をするわけがないし、カミーユとフォウは傷を舐め合うためにお互い惹かれたんじゃないって、そういうことなのよね。だから、まぬけな自爆告白ではあるんだけど、彼なりの必死さがきちんと見えるし、フォウが彼を宇宙に帰そうとするモチベーションもすっきりする。そうだな、旧フィルムのフォウは、なぜカミーユを宇宙に帰そうとしたのか、はっきり分からないんだよね。なぜ「お互いの居た場所に戻りましょう」なのか。カミーユは「自分には(男であると認められない強迫観念で)居場所がなかった」と泣いていて、フォウもそうであったはずなんだから、あのまま二人は破滅することだってあり得たわけじゃない。それを、フォウが“何か思いを抱いて”、あえて彼を突き放し、宇宙に帰す…、だから感動的なエピソードなんだろうけど。俺さ、なんでだかわかんないんだけど、フィルムにフォウが登場してきたあたりで、急に涙腺が緩んじゃったんだよね。フォウが画面に出てくるだけで、ぶわっと涙あふれさせたりしてたのよ。悲しいって気持ちよりも、カラダが先に反応しているような状態。こんなの初めてだったな。なんでこんなに泣けるのか、分からない。不思議な体験だった。二〇年という歳月がもたらした何かなのかな、と思うんだけど、やっぱりよく分からない。ともかく、そういうわけで、誰がどういう評価を下そうと、『恋人たち』は俺にとっては特別なフィルムになったな。
posted by 多村えーてる at 20:05| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 駄目チネラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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