とりあえず買ってきました。すさまじい文章量です。
昨日「Vガンダムは自分にとって特殊な位置づけの作品」と書いたけど、この人にとってもそうだったのかもしれないな、と思う。
なぜ氷川氏や藤津氏ではなくてササキバラ氏なのか。その答えは、きっとそういうことなのだ。氷川氏にとって特殊で特別な作品といえば、やはり最初のガンダム、しかもテレビ放送分ということになるのだろう。氷川氏にとっての『それがVガンダムだ』に相当する本は、『フィルムとしてのガンダム』[Amazon] [bk1] なんだろう。
機動戦士Vガンダム応援企画 インタビュー:ササキバラ・ゴウ
『それがVガンダムだ』を通常の三倍楽しむ方法(シャア専用ポータル)
本を作るきっかけには、いくつかのことが重なっています。ひとつには、アニメ以外のジャンルの評論の仕事をしているうちに、Vガンダムの中にそれと関連するテーマを感じて、私自身の中でVガンダムが再びクローズアップされてきたこと。さらには、最近の社会情勢や世相を漠然と見ているうちに、Vガンダム的な批判の目が有効だなと感じたこと。さらには、世の中にマトモな富野論が不足していて、他に書ける人がいなさそうだと感じたことなどがあります。
ガンオタなひとは当然のように読んでいるだろうけど、著者のホームページのここも。
Vガンダム本・制作メモ
じっくり読み進めようと思う。ビデオを発掘して、いっしょに見返すかな。
今日はこの本を買ったことと、DVDメモリアルボックスを買えなかったこととがあわさって、ずっとVガンダムのことを考えていたなぁ。この作品の特殊な位置づけとは、ようするに、記憶の深いところまで入り込んでいる、ということになるのだろう。強くではなく、深く。ササキバラ流に言うなら、ジャンクである、ということになる。青春時代の思い出ではなく、リアルタイムに置き去りにされたままで。