さべあのま『ネバーランド物語』
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全集の第4巻。単行本を読んでいるハズなんだけど、すっかりキレイに記憶から消え去っていたので(やれやれ)、新鮮な気持ちで読むことができました。当時はいよいよこっちの方に向かっていくさべあ作品をどうしたものかと感じていたに違いない。さべあさんの作品って、どんどん柔らかくておだやかでゆるやかであたたかくて…そんな風になっていったんだよね。登場人物が胸を痛めて枕元で泣いていても、どこかやさしい空気が流れているような。若い男性には、それがぬるさに感じられても仕方ないと思わないか? 結婚して子供ができてしまうと、そんな視点のゆるぎないところが、かえって安心できたりするわけで…。
あとがきで少し触れているけど、たしかにこの作品は1本のアニメ作品にすると気持ちいいだろうなぁ。今の技術なら、この作品を見事に料理することだってできるだろう。うまい媒体に乗れば、そういう方法もあるんじゃないかなぁ。さべあ作品再評価から、そんなアクションにつながっていったらおもしろいのに…と思う今日この頃。
2004年03月08日
イノセンスの聖書を引用しまくるバトーって…
原作読み返したといっても、じつはパラパラとめくり返した程度だったりするので、原作のバトーが聖書好きだったかどうかなんて分かってなかったりするんだけど。
とぼふあんかるアニメ日記の「イノセンス」の感想に対するコメントの中にある、
と思っていたら、もっと詳しく考察しているサイトもARTIFACTで取り上げられていました。
「リアルタイム引用」が実現した『イノセンス』の世界
なるほど、アカシックレコードにアクセスできる、ということなのかぁ。実際、ネットには御大将の言葉をあつめたサイトなんてのもあるわけで(リンクを見失ってしまったんだけど、セイラさんの台詞だけ抽出したサイトをみたことがあるなぁ)、こういう場所をシソーラス的に扱うことができるようになると、あとは滑舌だけの問題になって、それさえも擬体の能力でまかなえるのだとしたら、そんな台詞の組み合わせによって、意味表現を展開することもたやすくなるかもね。引用を聞かされる側だって、リアルタイムに検索かけて意味推量を展開すればいいのであって。
かつては博覧強記、インテリの教養の発露としての引用句、現代ではオタク的閉鎖的言語体系としての引用句も、やがて壁は取り払われて、単なる電脳時代のコミュニケーションスタイルに変化していく、ということか。
とぼふあんかるアニメ日記の「イノセンス」の感想に対するコメントの中にある、
あの時代、みんな電脳で検索できるから普通に口にするもんなのかな。という指摘は、ARTIFACTで取り上げられていた
聖書大好きバトーはシャアのセリフを引用するオタクと変わらないという指摘とあわせて考えたい。
と思っていたら、もっと詳しく考察しているサイトもARTIFACTで取り上げられていました。
「リアルタイム引用」が実現した『イノセンス』の世界
なるほど、アカシックレコードにアクセスできる、ということなのかぁ。実際、ネットには御大将の言葉をあつめたサイトなんてのもあるわけで(リンクを見失ってしまったんだけど、セイラさんの台詞だけ抽出したサイトをみたことがあるなぁ)、こういう場所をシソーラス的に扱うことができるようになると、あとは滑舌だけの問題になって、それさえも擬体の能力でまかなえるのだとしたら、そんな台詞の組み合わせによって、意味表現を展開することもたやすくなるかもね。引用を聞かされる側だって、リアルタイムに検索かけて意味推量を展開すればいいのであって。
かつては博覧強記、インテリの教養の発露としての引用句、現代ではオタク的閉鎖的言語体系としての引用句も、やがて壁は取り払われて、単なる電脳時代のコミュニケーションスタイルに変化していく、ということか。