2005年07月06日

「星を継ぐ者」考・2

劇場に足を運ぶ前に見た新作画像、クライマックスのシャアとアムロが再会するシーン。二人を見るカミーユの口元が軽くほころんでいることに、「アレ」と思ったのを覚えている。テレビシリーズの印象では、カミーユのあのときの気分は「なんだよ、おまえら」って程度で、どうにもすっきりしないものだったし、クワトロがシャアって気が付いたときにも、「偽名なんて使って!」といった猜疑心に近い感触しかなかったのだ。が、『星を継ぐ者』のカミーユは、あそこで、あきらかに感動している。「すごいぞ、一年戦争の英雄二人が自分の目の前にいるんだ」といったピュアな印象を受けるのだ。

このシーンがこれだけスッと入ってくるよう、「一年戦争の英雄たち」に対するカミーユのリアクションを振り返ってみると…。まずブライトに対して、「講演会でサインをもらったことがあります!」とわざわざ告白している。ハヤトがバルキリーから単身、空中移動(?)して乗り移ってきたときは、「やったー!」と歓声をあげてハヤトに抱きつかんばかり。このシーン、コンテでは「オー、ジャパニーズジュードー!」と群衆から声があがるという指示がされていて(残念ながら本編でどうだったか失念しちゃったけど)、その中で思わず駆け寄った若者がカミーユ、という印象があるのだ。ハヤトがホワイトベースのクルーだったことは知っていただろうし、空手を習っていたカミーユは、ハヤトが柔道の使い手であったことも知っていたのではないだろうか。受け身が決まったところで、歓声をあげて駆け寄らずにはいられなかったミーハーっぷり…。これらカミーユのちょっとカワイイ側面がしっかりと埋め込まれているから、シャアとアムロの再会を見守るカミーユの気分が健康なものとして伝わってくるのだろう。

(ふと考えてみると、カイ・シデンに関するリアクションの記憶がまるでない。それを確認するためだけでも、見返したくなった)
posted by 多村えーてる at 12:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「星を継ぐ者」考・1

テレビシリーズでは、ウォン・リーという人は思いのほか早く登場していてカミーユを「修正」している。が、劇場版『機動戦士Ζガンダム・星を継ぐ者』にウォンさんは登場しない。第2部『恋人たち』では登場してくるだろうけど…。

劇場版において「修正」は無くなるかもしれない。

組織のあり方として、上意下達を徹底させるための手段として「修正」が登場することはあったとしても、直接的に描写されることはなくなるかもしれない。『星を継ぐ者』でジェリドに殴りかかったカミーユがジェリドの回想というフィルターを通して描かれたように、修正されたカミーユも、別の視点から描かれるのだろう。

思えば、カミーユがキレない若者として描かれている(人格が変わったのではなくて、そう見えるように編集された)ということについては総監督も繰り返し語っているが、こと「修正」に関してはひとことも話していないのではないだろうか。

「修正」がなくなるということは、クワトロがカミーユに「修正」されることもなくなり、あの迷セリフ「サボテンの花が咲いている…」もなくなる、ということになる。そして、『星を継ぐ者』で受けるクワトロの印象から延長線をのばしていった先に、ああいったクワトロはいなくてもいいな、と思えてくる。

ときに迷い、現実の厳しさに苦しみながらも、己の成すべきことをやろうと奮闘する男。ときに裏腹な結果を迎えるような苦い思いを積み重ねている男。クワトロとはそういう男なんだろうけど、けどヘタレない、だからカミーユも彼を人生の先輩として認めている…そういう関係になるのなら、なにもカミーユに「修正」される必要はないのだ。
posted by 多村えーてる at 12:05| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする