2005年10月24日

いま語らないと一生語れない中盤のΖガンダム・ジオンの亡霊

(栄輝)>『語ろうΖガンダム』読んでるんだけど、「いまの仮面ライダーって、ターンエーガンダムみたいな位置づけだよね」なんて話しがでてくるのな。
(A機)>原点回帰?
(栄輝)>どういう理由か、本当のところは分からないんだけど、プロデューサーが交替になって、作風がガラリと変わってしまって。けっこうあとになってじんわりと効いてくるんだよこれが。正直落ち込んだ。
(A機)>そういえば布施明大人が登場したあたりから見てないですね。録画はしてますけど。いままでどんなにどうでもいい展開になったライダーでも、いちおう目は通していましたのに。
(栄輝)>うん、でさ、もしターンエーがそんなふうにテコ入れくらってたら、俺どうなってただろうと思ったりしたんだけど、よく考えると、トミノ作品っていうのはそんなテコ入れの繰り返しだったりするのな。
(A機)>ライディーンなんて途中から監督交代をくらって、富野さんは絵コンテに徹するなんて屈辱を自らに課したわけで。ダンバインの後半の展開もスポンサーからのテコ入れでしたっけ。
(栄輝)>実際のところは分からないけど、ゼータにおいては、MSVがでてきたとか、村上御大のサイコガンダムとか、スポンサーサイドの威力発動はいくつかあったけど、見ている側の印象としては「ジオンの亡霊」の回が、どうにもキナ臭かったような気がするんだよな。具体的な話はほとんど覚えてないんだけど。
(A機)>えーと、放棄されたグワジン級が漂流していて、そこに入り込んだカツがゲルググを見つけるって話ですね。
(栄輝)>あーそうそう、ジオンのモビルスーツがフワフワ漂ってきてからみつくとか、ちょっと夏の怪談話っぽいやつな。ゼータって、一年戦争の後の宇宙世紀の話だから、ジオンの残党がアクシズ作ってますとか、そういうのはわかるんだけど、一年戦争の記憶をそのまま残したような幽霊戦艦がおでましになって、当時のゲルググがそのまま動いたりするっていうのが、なんとも不気味で、同時に「気持ちわるい」。
(A機)>よくわかりませんが、そういうもんですか。
(栄輝)>エゥーゴとティターンズの抗争に「ジオン公国」が絡みついてくるのは、当時の気分としては「いまさらジオンとかかつぎださないとダメなの?」って感じでさ。で、これの行き着く先が、ダブルゼータの、ギレンのクローン云々って裏設定だと思うんだな。なんでもかんでもそういうところに結びつけないと気が済まなくなる安易さ。そうなってしまう予感があのタイトルから漂ってきた。
(A機)>そういえば、「ジオンの亡霊」のエピソードは、ちょうど『恋人たち』の範疇ですね。
(栄輝)>おお、ほんとだな。べつに意図してなかったけど、どのみち今週はこのテーマで展開するつもりだったわけだし、タイトル変えといてちょ。
posted by 多村えーてる at 23:59| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする