■レイズナーまでが変形しなければならなった時代
まもなくバンダイからリニューアルキットが発売されるSPTレイズナー。作品的には諸事情により途中で打ち切りとなり、設定画が公開されていた後半の主役メカであるレイズナーMk-2はついに日の目をみることがなかった(その後、スパロボ等のゲームで活躍しているらしい)。このMk-2の設定画をみたときの、失望の大きさといったら(!)。
なぜ、そのままでも十分な空戦能力を持っているレイズナーが、戦闘機っぽい何かに変形しなければならないのか。
SPTは地球の戦闘機をはるかにしのぐというのに。その苦し紛れな戦闘機風シルエットには、なんの説得力も感じられなかった。おまけに、レイズナーのアイデンティティともいえる風防(?)の中の両目も、Mk-2では継承されておらず、普通のメカロボットの顔の配置となっていたのである。
こんな駄メカをレイズナーの後継機と認めたくない。
作品が打ち切り終了となったと知ったとき、自分の呪いが現実になったのではないかと思ったりもした。
いまにして思うと、当時、それほどまでに「変形」というファクターが、ロボットアニメ作品に対して呪縛となっていたのだろう。
■リアルロボットは“変形してこそリアルロボット”となってしまった
日曜日の午後、F14トムキャットそっくりの戦闘機があれよあれよと変形してロボットに姿を変えたのは1982年のことだった。この「バルキリーショック」と、海外から逆輸入されるカタチでやってきたトランスフォーマーの大波は、ガンダムから始まったリアルロボットアニメブームの余波を享受していたロボットアニメ業界に衝撃をもたらしていった。
マクロスに続いて「超時空世紀オーガス(1983)」では、主役メカは4段変形。敵メカも3段変形。ファンタジーとロボットの融合という新機軸をもたらした「聖戦士ダンバイン(1983)」ですら、後半の主役メカ・ビルバインは変形。続く富野アニメ「重戦機エルガイム(1984)」でも、後半の主役メカ・エルガイムMk-IIが変形。その他、「モスピーダ(1983)」「メガゾーン23(1984)」など、変形を売り物にした作品が次々と登場し、「太陽の牙ダグラム(1982)」「機甲装兵ボトムズ(1983)」と変形しないリアルロボット路線を貫いてきた高橋アニメも、翌年の「機甲界ガリアン(1984)」ではついに後半で改造されたガリアンが変形合体するようになる。このガリアンに続く高橋良輔監督作品の新作が「青き流星SPTレイズナー(1985)」だったのである。同年すでに富野由悠季監督作品の最新作「機動戦士Ζガンダム(1985)」がスタートしており、こちらは“後半の主役メカ『ゼータガンダム』は変形するモビルスーツ”であることがひとつの売りとなっており、敵モビルスーツも次々と変形メカとして華やかな活躍を見せていた。
変形しないレイズナーにかかる重圧は相当なものだったのではないだろうか。
■1985年、“変形しなければならない”という呪縛の終焉
1985年という年は、ガンダム以降続いてきたリアルロボット路線という流れに、ある種のピリオドを打った年だったのではないかと思う。「Ζガンダム」と「レイズナー」が立て続けに制作された1985年を境に、ロボットアニメのあり方は変化していったのである。
翌1986年は「ガンダムΖΖ」以外にはこれといった変形リアルロボットアニメは制作されておらず、変形メカどころかロボットも登場しない、「王立宇宙軍」が劇場公開される。さらに翌年の「機甲戦記ドラグナー(1987)」では、主役メカは変形しない。後半パワーアップされるも、変形しないのである。
もっとも、ドラグナーは「飛ぶ」ということに新しいアイデンティティを見出した感があり、「銀河漂流バイファム(1983)」のリフターに端を発する“戦闘機的な羽を持ったロボット”の歴史を形作っていくことになるのだが、それはまた別の機会に研究してみようと思う。
“リアルロボットは変形しなければならない”という呪縛は、そこにはもう片鱗もない。
ガンダムの続編として期待されていたはずの「Ζガンダム」が相当な難解さを伴うあまりに、続編の「ガンダムΖΖ」では、リアルさからやや遠のいた形での変形・合体ロボに先祖返りしてしまった。どこにも変形する必要性の感じられなかったレイズナーが、戦闘機のできそこないメカに変形させられそうになり、さらにフィルムに姿を現す前に打ち切りとなってしまったという事実とともに、呪縛は消えていった。レイズナーはギリギリのところで「変形させれられてしまった」のだと思う。
■失われてしまった“変形”の本当の意味
そもそも変形とはなんだったのか。バルキリー以前に変形するロボットの始祖として、ライディーンとコン・バトラーVをあげてみたい。
ライディーンが変形するゴッド・バードは、ライディーンの必殺形態である。文字通り「神の鳥」に姿を変えることで、神秘のロボットであるライディーンが、さらに神話的な形態となって敵を討つ。ヒト(人型)がヒトならざるモノとなって、魔を絶つのである。
コン・バトラーVでは後半のパワーアップ形態としてグラン・ダッシャーが登場する。おそらくこれは超合金で遊んでいるうちに出てきた形態ではないかと思うが、前に倒してコロ走行させるだけで、ロボットだったはずのコンVが、重車両のようなパワフルな形態となる。これも、ライディーンの神話的な方向性から180度逆転してはいるものの、“ヒトがヒトならざるモノとなって魔を絶つ姿”である。
つまり、過去に変形するメカは、人型よりも上位の形態(モード)としての変形を実現していたのではないかと思えるのである。
バルキリーショックは、そんな“変形”が本来持っていた魅力を、吹き飛ばしてしまったのだろうか。
ビルバインは、ウィングキャリバーに変形する。エルガイムMk-IIは、ランドブースーターに変形する。Ζガンダムは、ウェイブライダー(という名の飛行メカ)に変形する。それぞれの世界観で、変形後の飛行メカのカテゴリは、人型メカをサポートする立場のメカニックであり、いわば、なぜか主役級のメカがサポートメカに“成り下がり変形”しているのである。
そんなものに、誰があこがれるだろう?
巨大ロボットは、自己の投影である。これは視聴者にとっても主人公にとっても同じことで、ダグラムにおいては主人公クリン・カシムは「ダグラムはぼくのすべてだ」とまで言い切っている。巨大ロボットは鋼鉄の鎧であり、無敵のカラダを手に入れたもうひとつの自分の姿なのである。戦いが激化することで、それまでの巨大ロボットのままではあやうくなるときに、さらなる強さを手に入れるために、ヒト(人型)がヒトならざるモノとなって、魔を絶つ。これが変形の醍醐味なのである。ヒトのカタチをしたものが、手足を本来なら動くはずのない方向に曲げ、伸ばし、縮め、ヒトならざる姿となってまで、勝利を手にしようとする。そのギリギリの痛みを超えたところに、“変形”はあったはずなのである。
■それでも、レイズナーが変形しなければならなかったのなら
レイズナーは珍妙な戦闘機になど変形する必要はなかった。通常兵器がまったく通用しないSPTであるレイズナー。それでもたった1機ではグラドスの侵攻を防ぐことができなかったレイズナー。レイズナーのみが使えた必殺モードとしてのV-MAXも、やがて敵側も扱えるようになり、窮地においやられていく…。もしこの状況を打破するファクターとして変形をもたらそうとするのなら、レイズナーはより上位の存在としての変形を選択するべきだった。ヒト(人型)がヒトならざるモノとなって、魔を絶ち、争いを終わらせる存在としての変形…。
それが、いったいどんな形状であっただろうか。グラドス創世の秘密という、あまりにも神話的な物語のなかで、より神話的な強さを伴ったメカニックが、どのような姿をしていたかをいまになって夢想するのは、エイジが地球に警告に来た1996年から10年が経過した今となっては、遅すぎた理解だろうか。
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2006年08月21日
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