2004年05月13日
神林長平『膚の下』読書中につき
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1ページ読み進むごとに「劇的である」と感じる。
全体700ページ弱のうちようやく220ページまで辿り着いた。毎日の通勤電車で読むのが日課なので、サクサクと読み進められないのがなんとももどかしい。
最初、この物語は「悲劇」が描かれるのかと思った。慧滋軍曹と間明少佐の気持ちのすれ違いに衝撃を受けた。しかし、慧滋がその気持ち(憎しみ・嫌悪)を高める前に、間明少佐は退場を余儀なくされる。再登場があるのか気になるが、慧滋の記憶と経験の中に間明少佐が確実に存在していて、慧滋は思考を巡らせるたびに間明少佐の真意を理解していく。だから間明はそこにはいなくても、たしかにいる。
間明と慧滋は擬似的な親子の関係を思わせるが、物語はそこに逃げない。むしろ、親子のような関係ではない、と否定するのだ。しかしそこに、親子の関係について思いを馳せることは可能だろう。上司と部下であったり、教師と生徒であったり、目上の世代と若い世代であったり。
ブ厚く重い本書は、持ち歩くのにも不便で、限られたカバンの中を占有する。「テキストデータで販売してくれないかな」と思うことしばし。こちらとしては PEG-TH55 で読むことにはとりたてて抵抗感はないのだ。シグマブックよりもはるかに嵩張って重量のある本は、世の中にはたくさんある。津野海太郎氏は、ブ厚い本はその日に読む分だけ破いて持ち歩いたというが、それはそれでどうかと思う。が、この物理的な質量を抱えて暮らすということも、今はこの本を読むという体験の一部であることは間違いないので、そのこと込みで受け止めていくしかない。これは、テキストデータを Pook で読む行為はヴァーチャルなものであると言っているわけではない。この本はそういう属性も備えているということを述べているにすぎない(と、神林調に書いてみる)。
「膚の下」を検索キーにやってくる人がけっこういる。どうやらネットでこの作品のことを取り上げているところが他にあまりないようだ。なんともったいない。
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