読んでいて、当時のことをいろいろ思い出した。そういえば「プラモ化権獲得!」ってアニメ雑誌などでも高らかに宣言していたな、とか、1/144スケールって初めて聞くサイズだったな、といった「ガンプラ事始め」から、ブームが加熱していく中で自分も西武百貨店の行列に加わったこと、ともだちと集まって工作大会やったこと、「ガンダムのプラモデル買ってきたよ」と母親がドグ・マックのプラモデルを買ってきてくれたこと、レジンを買って波打ち際のズゴックを作ったこと…。その後つかずはなれず付き合ってきたガンプラを巡る出来事の数々。そして、それは現在も進行形なのだ。
加藤氏の本文にも熱いものを感じたが、特別寄稿として掲載された柿沼氏の原稿にはさらにハートを刺激された。自分をカタチ作ってきたそれまでの慣習と新しい潮流との狭間で悩み、苦しみ、そして乗り越えてきた氏の半生に胸をうたれた。
少し長いけれど、ここにその一部を引用する。
柿沼秀樹「特別寄稿:『HOW TO BUILD GUNDAM』への道」より1/144ガンダムの金型を使ったペッパーショップの古賀学氏の装丁による表紙デザインもたいへん美しい。
当時私が考えたことは、いま若い造形作家たちが事もなげにやってのけている。模型のおもしろさや模型雑誌の意義は、ただ実物の縮尺コピーを目指すことや、実物との差異の指摘だけではなく、自分なりにイメージを描き、そのイメージに、どうアプローチすれば到達できるのか、どういう方法で完成させれば納得のいく結果が得られるのか、という姿勢やその方法を探求することにこそあるのだ。特にガンダムにおいては、どこにも実在しないその対象物を、どう夢想、イメージすべきなのか、その指針を読者やユーザーに提供するところから始めなくてはいけない。「モビルスーツは平気だから陸戦時には迷彩塗装されているはずだ」だけではもう古い。その工程が複雑すぎるためにアニメ本編には導入できないくらいの未来の戦術、戦法、機能が、模型としてのモビルスーツたちには備わっていて欲しい。
機体に書かれているべき文字や識別章は、友軍のリーダーでしか読み取れないようなマーキング方式を取っているかもしれないし、またくらい宇宙空間での編隊構成時には自らの機体を照らす照明だって必要かもしれない。侵攻中に機種の特定を阻むため、別の機種の装甲を纏って敵を欺瞞するという戦法だってあるかもしれない。
「HOW TO BUILD GUNDAM」を読み、『ガンプラ』を作って育ったモデラーたちもいまやすでに中年だろう。いまなら読者の低年齢化を危惧することなく新しい「HOW TO BUILD GUNDAM」を編集できるかもしれない。もちろん彼らを奮起させるような新しい挑発を込めて。
