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うちにあるのは大野安之氏がカバーイラストを描いた光文社文庫版。93年の作品。あれから11年になりますか。
当時、どん底のような気分で日々をすごしていたような気がする。そんな中で、これまでの神林作品に類をみない「脳」天気な主人公、坂北天界になんともいえないあこがれを感じた。彼のような軽い気持ちで状況を乗り切ることだってできるんじゃないか…。そんなふうに思うと、ふっと気分が軽くなって、元気になれたのだ。ハッピーな気分になれる神林作品があるというのも、なんとも愉快なことではないか。
天界と玲美のカップルを、自分の知っている友人知人のカップルにみたてて読んでいたような気がする。読んでいた時分にはすっかり別れてしまっていたカップルもいたけれど、こんな風に、二人でいたころの彼らだってきっとハッピーな気分だったんじゃないかと。だからそんな友人に、この本を読んで元気になれとすすめたかったんだけど、けっきょくどうしたのか思い出せない。
さっきから気がする気がするとあいまいなことしか書いてないのは、たぶん、自分は奥さんと出会ってから生まれ変わったからなんだろうな。それまでの自分は見事に埋葬されてしまって、ようやく天国にそっくりな自分の場所を手に入れたんだろう。天界ほどお気楽にはなかなかなれないけど(いやむしろ、11年前よりも仕事はきつくなるわ腹の肉はたるんでくるわで、いろんなことが大変になっているんだけど)、それでもヤッホーな日々ではある。うん。自分の年齢を数えるだけの指は十分揃っているし、来年にはほとんど一生分がまかなえるようになる予定だ。
11年ぶりに読み返しておどろいたことがいくつか。「映画の『マトリックス』って、この作品の途中までだけパクッていたのか!」とか。いや、あれは普通にディック的な世界として描いただけなんだろうけど。マトリックスでは現実世界の主人公はカラダにへんな管がつながっていたり坊主頭だったりしたけど、天界のほうは御丁寧に「ケーブルなどはつながっていないようだ」と断り書きがあって笑ってしまった(まぁ、そういう世界なんだけど)。
神林作品といえば突然の問答というか議論が必ず出てくるものなんだが、この作品でもそれはちゃんと用意されている。クライマックスのザークとの対決も問答対決みたいなものだ。面白いのは、ザークを倒してから、まったりとしたエンディングが30ページほどのちょっとしたボリュームで用意されていること。ここにきて、大どんでん返しかもしれない秘密や仮説が、ジャンドーヤとののんびりした会話の中でたっぷりと交わされる。ジャンドーヤと天界の会話は、読んでいてとっても気持ちがいい。登場人物たちが最高のもてなしを受けながら、うまい食事とうまい酒を飲んで上機嫌だからだろう。彼らが対話を楽しんでいるのが伝わってきて、こちらもハッピーになるのだ。そのあと、これまた唐突にみっちりとした自問とモノローグが続くのも印象的だ。
光文社文庫の神林作品は、どれもちょっととっちらかった印象があるのだけど、これは読み返してよかったと思える作品だ。そして、当時の解説にも書いてあったけど、他の神林作品も読み返したくなる、そんな作品でもある。次はどれにしようかな。
2004年07月06日
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