2004年07月13日

V.J.Catkick氏、今もNewton OS を超えるOSがないと言及

N.J.Catkick@: Newton

V.J.Catkick氏といえば「日本の Newton の偉い人」の五本の指に入る御方。そんな人があらためて Newton OS を超える OS がないとおっしゃっているのだ。Newton OS に惚れたことのない人には「ふーん」で済んでしまう与太話かもしれない。しかし、あのクシャクシャ…ボワンのインターフェースにガツンとやられたひとにぎりの人たちにとって、これは日々感じている深刻な問題なのである。

Newotn OS がディスコンティニューとなって、いったい何年たったというのだろう? なのに、いまだにアレを超える OS があらわれていないなんて!
 
べつに Newton はウッドストックやビートルズのような特定の時代にもたらされた至高の何かではない。もっともっと、その向こうに行くことはできるはずなのだ。

Newton が Apple の屋台骨をおびやかすほどのでっかいプロジェクトだったのかはさだかではないが、売上という結果から鑑みれば、馬鹿馬鹿しいほどの資本が投入されたことは間違いない。いまにして思えば、まぁ、人類が月に行ったっていうのと似たようなものかもしれないな。

莫大な国家予算を投入して、ほんのわずかな人間を月に送り込む。この偉業は、やがて「そんなことに金を使っているヒマがあったら戦争のことをなんとかしろよ。宇宙より地球だろ?」といった世知辛いイデオロギーにからめとられていく。Newton OS が目指したインターフェースやファイルの概念をもたない独自のデータ構造などは、間違いなくゴールドなシロモノだったのだ。しかし世間は「そんなことに金を使っているヒマがあったらメールを普通に使えるようにしろよ。パーソナル・デジタル・アシスタントよりインターネットだろ?」と、世知辛いイデオロギーに流されてしまった。とにかく世界はそっちに向かってしまったのだ。

ギルやジョブズが、Newton.Inc をそっとしておいてくれたら、といったifの話は、いまさらやったところで詮無いのだけど、インターネットというメタメディアを吸収した Newton OS の姿は、いったいどんなものだったろうかと思うことは今でもある。
posted by 多村えーてる at 17:16| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 嘆きのデジタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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