(栄輝)>ゼータの頃、ちょうど17歳だったんだよ。
(A機)>はい。
(栄輝)>だから、カミーユのやることや気分って、なんとなくシンパシー感じてた。たとえば、カミーユっていうのは、とにかく出会う女性すべてにモーションかけてるんだよ。
(A機)>(笑)
(栄輝)>レコアさんやエマさんには、お姉さんとして甘えようとする。フォウやサラには、「俺のところに来い、俺は君を救いたい」って行動する。このへんのハイティーンらしい理想主義というか、スケベ根性が、痛いほどよくわかるというか。
(A機)>このスケベ(笑)
(栄輝)>(笑) カミーユはスケベしたくて口説いてるわけじゃないんだよな。小説版のほうで明解に書かれているけど、カミーユが求めていたのはファミリーだったんだな。
(A機)>「親が親をやってくれなかった」という思いの部分や、ロザミアが母親になるクライマックスのことですね。
(栄輝)>柳沢きみおの『翔んだカップル』って漫画があっただろ。
(A機)>いきなり柳沢きみお?
(栄輝)>あれの連載当時は、なんで主人公はこんなに鬱屈しているんだろう、と思ってただけだったんだが、二〇歳ぐらいのときに読み返してハタと気付いたことがあったんだ。あれは、まだ思春期で異性のことを意識したこともなかった主人公が、いきなり女の子と同棲することになって、女性との付き合い方を体得していく過程をすっとばして、異性とひとつ屋根の下で暮らすという、男女のあり方の頂点に触れてしまった悲劇なんだ。主人公は、自分自身それが何なのか理解できないまま、その領域に足を踏み入れてしまって、ところが周囲の圧力によりひきずりもどされてしまう。それが何だったのかが分からないまま、思春期のプロセスを通過していかなければならなくなったことが、彼にとっての巡礼、苦難の道だったんだ。
(A機)>なんだか分かりませんが、それがカミーユと関係あるんですか。
(栄輝)>うーん、あんまりなかったかも(笑)
(A機)>なにそれっ。
(栄輝)>両親は“親”をやってくれなかったという思いがカミーユにはあって、それを親に直接ぶつける前に両親が殺されてしまって、けっきょく彼は自分に欠落しているものをどうやって埋め合わせすればいいのか、分からなくなってしまっていたんだと思う。最初の頃はアーガマの中でもまったく居場所がなかったし。文字通り、ブリッジに連れてこられても、どこに立てばいいのか、何をすればいいのかも分からない状態。みんなカミーユをほったらかしにして作戦だ何だって躍起になってるし。
(A機)>しかたないからレコアさんに甘えてみようとしたり。
(栄輝)>と思ってたら「わたしこれから地球に行っちゃうからね(シャアも冷たいし)」なんてことになるから、腹立ててみたり。あと、物語の後半でカミーユが自分のベッドに仏壇みたいなのを作っていて、自分が倒したパイロットのことを祈ってるらしいって分かるシーンがあるのね。
(A機)>ブリーフ姿でエマさんに模様替え手伝ってもらうんですよね。
(栄輝)>さぁ(笑) そういう、内省しようとする姿勢というか、いつもイライラして、周囲とも噛み合わないことが多くて、でも一人になると自分を見つめている…。どうにも息の詰まるような青春時代なんだけど、そういうことをやってみようとするカミーユに、ビビビときてたわけ。だから俺にとってゼータガンダムっていうのは、「戦争という状況にもめげず、自分の居場所を求めて、出会う女性すべてに声をかけ続けた十七歳の物語」ということになる。
(A機)>なんだかなぁ。
2005年05月28日
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