「クラユカバ」「クラメルカガリ」の両作品は、クラガリとか箱庭と呼ばれる場所が舞台だけど、まさに好きなものを寄せ集めて構成された箱庭と呼べるものなんだろうな。
極論すると「あ、80年代に藤原カムイ作品で見たやつ」ってなるし、キャラクターは「本当に速水螺旋人さんノータッチなの?」って思う。「ロシア抜きの速水螺旋人作品」といった趣きもあるように感じる。
好きなものをぶち込んだ箱庭を60分程度の作品にしたものなんだから、それはそれで楽しいし、ドンパチ的な盛り上がりもあるし、絵が動いてキャラに声がついて音楽がついたらそれはちゃんとエンタメの体を成す。最後に景気のいい主題歌がかかれば「なんか面白かった、のかな」という感想もある。
才能爆発している人は、初期作品で自分の好きなものを全部ぶち込んだ箱庭を創りがちで、漫画作品で言えば植芝理一『ディスコミュニケーション』、小原愼司『菫画報』あたりが印象深いんですが、なんでみんな狐の面を描いちゃうんでしょうね。自分の中にない原風景アイテムなので、こればっかりはいまいちピンとこない。
ちょっぴりジブリっぽいというか、ドタバタしたバトルシーンはカリ城やラピュタに通じる感もある。「映像表現以上の踏み込んだ表現せずにはいられないものがないのでは?」というのはたとえばスタジオコロリドの作品でも感じることがあるが、ちょっぴり近いものがあるのではないか。
10年後、びっくりするような作品を作っている監督さんだと思いたいので、みんなも今のうちに見ておくといいよ。僕は今回の劇場公開まで存在を知りませんでした。
ネットで自主制作の短編アニメーションを発表する、という動きに自分のセンサーが反応していないのがよろしくないんだろうけど。
そういったアニメーション表現において先鋭化された作品を発表しているアーティストが最近はいっぱい居るようなので、次代のアニメをとりまく状況はそういったアーティストの人たちが台頭する、ということもきっとあるだろう。
2024年04月13日
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