2005年10月09日

ロザミア・バタム

(栄輝)>どこかで「ロザミア・バダム」が劇場版では「ロザミア・バ〈タ〉ム」に変わってるって話しを聞いたんだが、なるほど資料をみるとそうなってる。
(A機)>「バダム」なり「バタム」なり、どういった民族をイメージした名前なんでしょうね。総監督って、音感だけで名前を付けているようで、意外ときっちりモトネタがあったりしますよね。
(栄輝)>さぁ、外国人の名前はさっぱりだわ。ところで『Ζガンダムヒストリカ』の7号、巻末の富野インタビューに気になる記事があった。
第2部以降は、ロザミアは残念なことに映画版の「劇」に絡むことはありません。
(A機)>うわー、意味深ですねぇ。
(栄輝)>順当に考えると、ロザミアがロザミィとなってカミーユに接近してくるっていうエピソードがまるまるなくなるっていう意味にとれるよなぁ。でも、そうなるとカミーユが崩壊に至る決定的な出来事としての「ロザミアの中で」がなくなってしまうことに…。
(A機)>ロザミィが「お兄ちゃ〜ん」ってすりよってこなくなると、ゼータ後半の混沌とした感じがまったく違ってきますよね。カミーユの立ち位置もかなり変わってくる?
(栄輝)>どうだろうな。劇場版の「新訳」としてはそれでも成立してしまうかもな。第3部はかなり詰め込み気味になるから、余計なエピソードをばっさり削ぎ落とす必要があるはずなんだが、ロザミィとの絡みをカットするっていうのは、案外あり得るのかもしれない。
posted by 多村えーてる at 23:59| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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