2005年10月19日

いま語らないと一生語れない中盤のΖガンダム・前哨その2

(栄輝)>いま見返したら、また印象ちがうかなって思うことはあるね。最後に見返したのは、たぶん15年くらい前。
(A機)>それだけ時間が経ったら、そりゃ印象変わるでしょう。
(栄輝)>最終回あたりなんかは、見返したことがあったかもしれないけど、それでもこの10年は手をつけてないな。
(A機)>そういえばVガンダムのビデオテープをサルベージしたら、Ζをサルベージするって計画でしたけど、なかなか進展ありませんね。
(栄輝)>ビデオのサルベージは、録画しなおすために実時間が必要だからな。そう思ったようにはいかないのな。っと、言い訳はともかく、これだけ観てないと、映像的な何かとか、演出面でのどうとか、かなり記憶曖昧。小説版は数年前に読み返して、いろいろ発見があった。
(A機)>なんでそんなに長いこと封印していたんでしょう? と、インタビュアーっぽく問いかけてみますが。
(栄輝)>それははっきりしていて、『ブレンパワード』『∀ガンダム』『キングゲイナー』といった「今のトミノ」がリリースされるようにもなれば、ややこしいばかりですっきりしないΖガンダムに無理に付き合う必要なんてなくなったってことだな。
(A機)>そりゃ、そういうものかもしれませんね。
(栄輝)>『GUNDAM OFFICIALS』のような集大成が一年戦争に限って上梓されれば(厳密には0083まで)、「次はゼータの時代だな」と予感したりもしたんだけど、やたらと複雑ですっきりしていない(その後も整理されてもいない)のがゼータの時代設定だと分かってもいるから、あんまり熱心になれないんだよね。
(A機)>それもあって、いまものすごい勢いで掘り返されているって感じもしますね。
(栄輝)>とりあえず、少しは流してみるかなぁ。でも、『星を継ぐ者』のときも、けっきょくは「直前にテレビシリーズを観てしまうと、劇場での印象が濁る」と思って、敬遠してたんだよね。いざ劇場版を観てしまうと、「劇場版で抱いた気分がテレビシリーズに引き戻される」のを危惧して余計に見られなくなったし。
(A機)>じゃ、このまま資料だけちょこっと参照しながら、語ってしまいますか。それはそれでアリだと思いますよ。
posted by 多村えーてる at 21:02| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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