2005年10月27日

いま語らないと一生語れない中盤のΖガンダム・ジェリド特攻

(栄輝)>マウアーが死んだとき、先輩の家のらくがき帳に「死ななくても愛する人を守ることはできるはずだ」って書いてあってさ。ジェリド特攻って、マウアー死なせて、うおーっと突撃して、それでも「やっぱりダメだぁー」って、何がやりたいの君は?な話なんだけど、ヒトによっては、そんなところに傷つくこともあるんだよね。
(A機)>マウアーって、どういうキャラクターかよくわからなかったですよね。強化人間でもなかったようですが、パイロットとしては優秀だった?
(栄輝)>そもそもなんでジェリドと組むようになったのかも見えなかったり。シロッコが声をかけるくらいだから、それなりに才能のある女性だったんだろうな。そのあたりは、御大将も「Ζガンダムヒストリカ」でおざなりになったって認めてたり。マウアーに関しては、何かありそうな女性なのに、なんにもないまま終わってしまったって感じかな。
(A機)>反対にジェリドは、何にもないのに、あれこれちょっかいだしまくったキャラですね(笑)
(栄輝)>ジェリドの印象っていうのも当時はリーゼントやつり目の外見と、彼本来の愚直さがうまくかみあわなくて、ちょっとちぐはぐな感じのキャラだった。いろいろ絡んでくるんだけど、とにかく印象が小物に見える。カミーユの母さんを狙撃したときも、マウアーが死んだときも、キリマンジャロのときも。彼についても、いまいち扱いきれなかったキャラなんだろうね。
(A機)>「Vガンダム」でいうところのクロノクルみたいな。
(栄輝)>ごく普通の愚直な若者をライバルに据えるとパッとしない、みたいな系譜があるのかも。エキセントリックな悪役はそりゃ描きやすいわけで。
(A機)>でも、野心で自分をのばしていくチャンスを失って、強化人間に改造されてしまうマシュマー・セロとか、そういうのもあんまり見たくないですよね。
(栄輝)>思えばダブルゼータのキャラクターっていうのは、ナチュラルに愉快だったキャラクターが、後半で人格改造されて再利用されるという、なんとも嫌な展開だったんだよなぁ。やれやれ。
posted by 多村えーてる at 20:57| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | Ζ GUNDAM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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