7月6日の朝刊に、永島慎二さんの訃報をみつけた。6月10日に心不全で亡くなっていたという。どうして一カ月も経ってしまったのか、理由は書かれていなかった。人知れず亡くなっていたのか、それともメディアに公表されなかっただけなのか…。
小学2〜3年生の頃、兄の部屋に忍び込んで、こっそりと取り出すのが、「チャレンジ」という学習教材だった。そこに掲載されている漫画を、ぼくはドキドキしながら読んだ。『独りくん』というタイトルだった。ぼくにとって永島慎二とは『旅人くん』でもなく、『フーテン』でもなく、『漫画家残酷物語』でもなく、『青春裁判』でもなく、『少年期たち』でもなく…、まず、この『独りくん』だったのである。
週刊少年チャンピオンでまだドカベンが連載していた頃で、わが家では水島新司も人気があったが、水島新司と似て異なる永島慎二の名前は、小学生の時分からさりげなく刷り込まれ、その後も、つかず離れず、いまあげたような作品たちが(そのほかにもたくさん)ぼくの心にクサビを打ち込んでいくのだった。ときには、どうしようもないやるせなさとして。ときには、とめどなくあふれる涙として。そしてときには、まったくの時代錯誤として。
少年時代に『独りくん』や『少年期たち』を読むことができたように、大学生になって、またしても心にクサビを打ち込む作品にであうことになった。それは、
『そのばしのぎの犯罪』
全2巻の単行本を手に入れるも、読み終わるまでにずいぶんと時間がかかったことを覚えている。とにかく、だんだんと読み進めるのが恐ろしくなって、何度も読むのを中断してしまっていたのだ。夏の暑い日、眠れない夜に、傾いた下宿でその本を手にとって、何度も息を詰めて、自分はこの先どうなっていくのだろうと考えたことを思い出す。そんな調子だったから、通しで読み終えたのは一回きり。だけど、忘れられない作品になってしまったのです。
大切に持っていたはずの単行本が、どこで、どういった経緯で、自分の手元から失われてしまったのか、今となっては思い出すことができない。「いつか、また読み返す」という決意を秘めたまま、段ボール箱に詰め込まれていたはずのその本が、なぜか今みあたらない。
青年漫画の“教祖”、永島慎二さんが死去永島慎二氏が死去 私小説的漫画で一時代築くダンさんの比較的後期の作品『銀河鉄道の夜』が、電子書籍コンソーシアム実証実験のときの約六千冊の中に含まれていたのを見つけたときは驚いたなぁ。永島慎二作品は、いちはやく電子書籍にもなっていたってわけ。まるで出版社の売れないバザーのような作品リストの中で、そのタイトルだけが輝いて見えたものだった。
posted by 多村えーてる at 20:19| 奈良 ☁|
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